勘違いやボスの厚意?で、WEBデザイナーデビューしたのが50歳。
夢見ていた仕事が実現して、無我夢中の15年間を過ごし、65歳で引退しました。
全く仕事ができなかったデビュー当初、いきなり勘所を掴んだ時期、大きすぎるプロジェクトに泣きながら挑んだ充実の日々。
年も年だし大きな病気も得てリタイアしたけれど、今もWordPressをゴニョゴニョいじるのが最大の楽しみです。
インターネットは45歳から
- 45歳でインターネットに出会う
- HTMLを独学でマスター(必死)
- 50歳でWEBデザイナー
- 65歳でWEBデザイナー引退
- 71歳でWordPressを楽しむ(今ここ)
能力低めの軽いオタクばあさん!
レベルはともかく、中年からのスタートだってそれなりに何とかなるものです。
とりあえずスタートしないと走れないけどね!
この記事は中年以降どのようにWEB(インターネット)とかかわってきたかを紹介しています。
ブログの始め方など具体的&技術的な内容は下記などの他の多くの記事で案内しています。
初めてインターネットに触れたのは45歳
若い読者はここで一度ズッコケますね。45歳で初めて…って何の話?というくらい現在とかけ離れていますから…。
庶民にとって1996、7年のインターネットは無いも同然でした。
45歳でメールアカウントを取得した時、やり取りする相手(メールアドレスを持っている)が1人もいなかった、そんな時代。
海外留学中の次女の学校が「緊急時のみ学校のアドレスでメールが使えます」というので、とりあえず次女に手紙でメールアドレスを知らせておきました。
(もちろんノートPC持参の留学なんて時代ではないです。届くのに1週間から10日かかる手紙の時代)
と、ローマ字で書いたメールが留学先から届きました。私の初受信メールです。
IT関連の学科を学んでいるインドネシア人の友人がPCを貸してくれたとか…。
その後次女からのメールとは別に、その友人からも英語のメールが届くようになりました。
そして運命の時が…(笑)。「課題で作った僕のWEBサイトを見て~」との連絡。
それがWEBとの出会いです。世の中にこんな面白いものがあるのか!とドキドキ、ワクワクしました。
それを伝えると(2度目の運命の時)「WEBページを作るのは難しくない。少し勉強すれば誰にでもできるもの」という返事。
信じやすい性格って最強! すぐHTMLの勉強を始めました。背景の色が変わった、文字が大きくなった…そんなことで大興奮。
WEBページを作りまくる
ローカルでHTMLを書きまくり、それなりに満足のいくページを作れるようになってからが大変。(当時はCSSの概念がなく、なのでHTMLだけの勉強)
枠組みはできても、中身が見つからない(HTMLの学び方…とか書けばよかったですが、その発想もなく)。
仕方なく毎日作る料理ならネタ切れの心配はないかも?と料理サイトを作ってみました。
サーバーやドメインの知識もなく、マニュアル本やネットの情報も少なく(&まだ検索下手で)ローカルから抜け出すのに苦労しました。
今はもう無くなっていますが、沖縄のレンタルサーバー屋?さんが提供してくれた無料のサーバーを借りて、ネット越しに初めて自分のサイトを見た時の感激は忘れられないです、レイアウトがガタガタ崩れていましたけど…。
更に楽しくなって、レンタルサーバーを借り、独自ドメイン名を取得して、一丁前に個人サイトのデビューを果たしました。
ただ、(私もWEBも)中身が乏しく、家族を犠牲にするしかないと決心。
帰国した次女に無理矢理、日記サイトを作らせて、「こんなデザインにしたいとか考えて」とリクエストを強要するありさま。
並行して、ネットで見つけたお気に入りのサイトを同じように作ってみるという練習を重ねました。検索も上手くなって、ある程度は思い通りの形になっていきました。
と、夫がMacromedia Dreamweaver 2.0(まだAdobeではない)をポンと買ってくれました。
当時、5、6万円だったと思います。続いて、Fireworkも。
Dreamweaverの難しさは半端なく、安価だったら完全に挫折していたはず。
5万円を無駄にはできない!岩をも通すこのケチ精神。これが仕事への突破口でした。
臆面もなくWEBデザイナー求人に応募
おばさん力全開です。
ネットで見つけたWEBデザイナー募集。「年齢不問」の文字に飛びついてメールで履歴書と制作サイトのアドレスを送りました。
即戦力を求めているのに、家族のサイトアドレスを列挙…、そんな応募の仕方あるかしら?と今なら思います。
学校を卒業してすぐ結婚、夫の仕事を手伝ってきましたが、1度も世間の風にあたったことがないと、こんな大勘違いも平気でしてしまうのです。
でも、それが道を開くということもあったりして…。
だいぶたってから、面接の連絡。そしてその場で採用確定。週2回6時間ずつ働く50歳のWEBデザイナー誕生。
数年後ボスが漏らした「年齢不問というのは18歳でも35歳でもOKという意味だった」には、笑いが止まらなかったです。
世間知らずの図々しいおばさんは最強。良かった!
デビューしたけど全く仕事ができなくて…
週2回のアルバイトは当初地獄でした。
与えられる仕事のほぼ全てができないのです。
自分&家族サイトは持っているスキルの範囲で作りますが、仕事はあらゆる要求、要望が寄せられます。そのいちいちが私のスキルにマッチしない(笑)または超えているのでした。
2ヶ月くらい1銭も稼げず、ただ仕事場にいて「すみません、それできないです」の繰り返し。辛かったです、すごく。
独学の悲しさで、ボスの言葉もいちいちわからない。例えば…
「ふろーずを作ってください」と言われて「フローズ」って何だろう? そんなレベルでした。フロー図とわかった時は本気で笑ったけど、笑い事じゃないです(フローズを検索しちゃったよ)。
それまでフロー図を基にサイトを作るなんて発想は無く、完全に行き当たりばったり。
自分のすごさ(酷さ)に驚きます。
ボスに恵まれて
思い余って「辞めさせてください」と伝えると、「じゃ、あと2ヶ月頑張ってみましょう。それでダメならお終いに…」とボスが言ってくれました。
外で働いて、レストランのランチを食べ、同僚とおしゃべりして…なバラ色の夢は、もう真っ黒。
毎日必死に勉強しているのに、どうしても仕事に繋がらない辛さ。
残念ながら同僚は在宅なので、教えを乞うこともできず、ボスの励ましだけが頼りという状況。
が、ある時期から急に仕事ができ始めてたのでした。
片時も無駄にせず自主トレに励んだ成果がでたのか、本当にビックリするくらい急に仕事ができるの状態になり、体の重りから解放されました。
ボスも私も努力した
私の努力は当然です。が、ボスの辛抱には感謝しかありません。
- 私ができないと言えば「では、宿題ということで、外注しましょう」という対応
- 外注から戻ってきた成果物を必ず私にチェックさせる
- それが私的に良くても悪くても、どうしてそう思うのか(絞り出してでも)10個ボスに伝える
こんなふうに多方面から鍛えてもらいました。ありがたい!
最大の難関
仕事を始めて数年後、CSSが必要になり、これまた猛勉強で乗り越えました。
当時は「カスケーディング・スタイル・シート」と重々しくフルに発音する類の…、特別のスキルって感じです。
ここはどうにも独学では超えられなくて、セミナーの梯子をしました。
「11時間デスマッチセミナー」と銘打った講習会に参加して(ランチタイムはあったけど、本当に11時間ぶっ通し)、それでやっとモノにできました。
もらった学習データはしばらく私の宝もの。
じゃ、それまではどうやってWEBページのレイアウトしていたのか?と思いますよね。
答えはテーブルタグです。例えば…
<table width="800">
<tr>
<td colspan="2">ヘッダー</td>
</tr>
<tr>
<td>メインコンテンツ</td>
<td width="240">サイドバー</td>
</tr>
</table>
上記のようにセルを利用して、そこに要素を配置していくんです。
なので、テーブルが入れ子状態になるのはフツー。
divの概念もないので、装飾はその部分に直書き。気が狂いそうです。
独学で困ったこと
当初仕事ができなかったのは、スキルが偏っていたからです。自分のスキル内では、それなりのサイトが作れるけれど、抜けも多く、それが初歩的な部分だと致命的だったり。
短い時間でもスクールなどで体系的に学び、基礎学習を終えておくべきでした。
今はネットの情報がその部分を補完してくれるかもしれませんが、それが難しい時代。
スクールで学ぶ方が何倍も早く目的に近づけると痛感しました。
自分も風穴だらけなのに、新人に教えるようになった時はかなり戸惑いました。
教えてもらったことがないので、どんな順番でどのように教えるのかが全くわからず、めちゃくちゃダメな先生でした。
新人を1人ダメにしたかもしれません。
そんな意味でも専門のスクールで習って、上手に教えられる人でいたかったです。
そんなスクールがあったら、思うように学べたのに…。生まれた時代が残念すぎる!
フリーランスのWEBデザイナー
週2回のアルバイトとは別に直接仕事の依頼が舞い込み始めました。
これまでの行動からして信じがたいですが、私はかなりの人見知り(慣れると図々しいタイプ)。
なので、営業とか売り込みはできないし、しませんでした(年金生活間近だし、将来もそう長くないし…)。
なのに、私のアルバイトを知った知人、友人から声をかけてもらえたのです。
良い時代でした。
WEBはまだ特別なスキルというイメージでしたし、WEB(当時はホームページと言っていましたが)自体、大切という感覚がない会社が多かったです。
会社案内の冊子程度の位置づけ? 社外向けの書類にURLを入れたいのでホームページを…という会社もあったくらいです。
なので、発注先はどこでもいいよ、誰か知り合いに頼めないかなぁ?という感じで、仕事が転がり込んでくる時代。
バイト先の仕事とは違って、緊張の連続。
ただ、バイトではボスの方向性がすべてですが、直の仕事は自分の考えを提案したり、作り込めたり…制作とは別の面白さを知りました。
スキルも格段にアップした気がします。
人生最大の仕事
広告代理店に勤める友人から中堅出版社のホームページリニューアルをやってみないかと持ち掛けられました。
デザインのリニューアルに加え、HTMLサイトをWordPressに、という話。
恐ろしいことに、800ページを超えるサイトでした。
かなり迷いましたが、その友人が正規表現でHTMLページをWordPressにインポートできるデータを作ってくれるというので引き受けました。
相手が出版社なのでデザイン部分の要望が多くちょっと泣きましたが、頑張っている自分が割と好きでした(笑)。
ものすごく勉強したし、集中もしたし…主婦を辞めたかった!
hostsファイルの意味など、リニューアル作業に必要なことはここで学びました。
友人や出版社の担当者に応援してもらって、内側・見た目ともデザイン完成。が…
本番データのインポートまで辿り着けたのに、表示が文字化け。
文字化けの原因はインポートするエクセルファイルの文字コードがUTF-8Nでないから。
この解決にかなり時間がかかりました。というか、解決法を見つけられなくて…。
簡単なことなのでついでに書きますが…
これだけでした。この仕事の界隈にいる人は皆知っている事かも?
今もその出版社のホームページは生きています。ただ、当時はレスポンシブデザインを求められる時代ではなかったので、PC用のみの制作でした。
今は他のWEB制作者がモバイル対応にしていて、その仕事ぶりに感心しきりです。私には到底無理だった~!
この出版社の仕事で力を使い果たしたわけではないけれど、直後に大病を得て、メンテナンスの契約を解除してもらいました。
これは天の計らいです。
モバイル対応の作業をした制作者がこのサイトを育てる方が、私がやるより100倍有効と思うから…。
何でもこなせる実力には至らなかったのが残念でなりません。
お客様からの最高の言葉
もう仕事はしていませんが、今も個人の1サイトだけ相談やメンテナンスをしています。
あまりにもその方が良い人なので、断れないのでした。
どんなに良い人かというと…
5分で終わる作業を依頼されたことがありました。私の方には仕事という感覚はない(仕事辞めちゃっていたし)のですが、無料をとても嫌がる方なので、3000円を請求しました。
と、それはいくら何でも安すぎる、こちらから適当に振り込むので金額を修正して請求書を送り直して欲しいとの依頼。
振り込まれたのは2万円。
「本当に5分しかかかっていないから…」と伝えたら
「その作業を5分でできるよう勉強したわけで、それができない僕はその勉強時間に払っているんです。自分で勉強するより短時間で確実にできる事に対して払うわけです」と。
以降、小さなメンテナンスはたいてい2万円の振り込み。余裕がある方なので有難くいただきますが、嬉しいのは金額ではなく気持ちです。
WordPressとの出会い(娘たちにWEBスキルをプレゼント)
WordPressとの出会いは、HTMLとの遭遇に劣らないくらいのインパクトがあり、すぐ夢中に(今も夢中続行中)。
長女はWordPressが仕事に直結
スペインに住む長女に「ブログを書いてみたら~」と勧めることができたのも、WordPressと出会ったお蔭(家族を巻き込むのがメッチャ得意)。
長女は個人的なブログを書き始めたことから発展した仕事でフリーランスとして頑張っています。
留学仲介の本業に加え、複数サイトに記事を書いたり、スペイン関連のプロジェクトに関わったり、世界が広がったと思います。娘がこんなにガッツのある人だと知らなかった~。育ててもわからない事ってたくさんあるなぁ!
個人ブログ以外にも2、3のサイト制作を手伝いましたが、今はもう私の力は不要になりました(娘ムコがIT君)。
長女はTCDテーマ一筋。がっちりデザインが決まっていて、見栄えがよいので。カスタマイズなどは眼中になく「TCD」なら自分ですべてできるのでお気に入り。すでに数テーマ買っています。
\ダイナミックでハイセンス/
完成されたデザインでノンカスタマイズ希望の方には
良いテンプレートです
次女はWordPressで生活記録とお小遣い
次女は仕事とは関わりなく、楽しみと記録のためにWordPressでブログを書いています。
生活感いっぱいのブログだからそれなりにファンがいるみたい。
次女のサイトも最初は手伝いましたが、今はテーマやプラグインなど自分の判断で上手くやっています。
サーバーの引越しとか、エラーが出たとか…その時だけヘルプの声がかかりますが…。
一事が万事鈍っこいおばあさんの私。生活面では時々娘たちの力を借りますが、WEB関連では頼られ、今のところプラマイゼロで推移しています、たぶん(=私見)。
リタイアしてもブログで収入
体調を崩したことや、長くメンテナンス業務を請け負っていたサイトとの契約が終了したので65歳で引退しました。
ここからお座なりだった自身のブログを見直し開始。
放置状態でしたが、Google AdSenseはすでに合格していたので、ちょっぴりお小遣いもいただけました。
私がGoogle AdSenseを始めた頃は、申請すれば誰でもOKでした。
でも、PCを立ち上げると 記事を書くよりWordPressのゴニョゴニョばかり。
記事に集中できるテーマを見つけ、コードやCSSレベルのカスタマイズから卒業しようと選んだのがテーマSWELLです。
\最高に気に入ったテーマ!/
なるべくテーマ本体を触らずに記事を書こうと思っています(とは言っても老婆の歩み)。と言いつつ、ちょっとはいじってしまっていますが…。
ホンの小さな部分ですけどね。ブログカードのタイトルをボールドにしたいとか、ちょっと空きを詰めたいとか、その程度ですけど。
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年金生活の今、GoogleやASPからお小遣いをいただけるのはとっても嬉しいです。
すごい励み!
アクセス数やお小遣いという数値に表れると、PCの向こうと繋がっていることを実感します。
1歩の踏み出し方
あの時、勘違いと図々しさと世間知らずが合体していた私。
それだけ揃うと人間最強! 普段の自分からは考えられない行動力でした。
お蔭で今、自分としては理想的な老後を過ごせている気がします。
今日もWordPressが楽しい~ぃ!
1つだけ残念なのは、WEB専門のスクールで基礎を学んでおきたかったということ。そうしたら、もう1段ジャンプできていたような?(わからないけど)そんな気がしてます。
やりたいコトはまずは踏み出してみる、嫌になったら引返す、そんな気楽なスタートが良かった気がします。
45歳で出会ったインターネット。もう24、5年立ちました。遅いスタートです(実に)が、それでも相当長い時間楽しめています。
ずっと昔、家電量販店で目の前のボタンを押したらエラいコトになってしまって…夫に「考えてから行動してね」と諭されたことがあります(今も笑いのタネ)。
でもたまには(私はたまじゃないけど)考える前に動く、たたく前に橋を渡り始める的なことが人生を彩ることだってありますよ。
と、
粗忽者の老婆はしたり顔で言いたい!